胸懐<後編> 

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いよいよ蝋燭を作ろうと計画した日の夜、夕鈴は部屋で迎えを待っていた。
当初は部屋へ持ち込んで作る予定だったのだが、張元に「やはりそれはまずい」と言われたのだ。
曰く、妃衣装が蠟や染料で汚れるのはあまりよろしくない。
曰く、蠟を溶かせばどうしても臭いが充満する。
曰く、湯を使うなら、湯を沸かせる場所のほうが便利だが、妃部屋でむやみに火を使うのは危ない。
そう聞けば素直な夕鈴の事、一々ご尤もな話ばかりで反論もできない。
あまり夜一人でふらふらと歩き回るのはどうかと心配すれば、丁度良い人材がいるから迎えをやると言われた。
立入禁止区域に入れる人は少ない。一体誰が来てくれるのか。
女官達の手前あまり変な行動は取れないが、夕鈴はそわそわと迎えを待っていた。
その時。

「妃よ、今戻った」

優しい笑みを浮かべながら、黎翔がゆっくりと歩いてきた。
驚いたのは夕鈴である。
政務はもう落ち着いたのかとか、これから外出する予定をどうしようとかは、微かに頭を掠めただけで通り過ぎてゆく。
数日見なかった黎翔は以前にも増して秀麗で威厳に溢れていた。
慣れたことなど一度もなかった筈なのに、今は近寄り難い雰囲気に足が竦む。

「どうした?迎えてはくれないのか」
そう言うと黎翔は夕鈴の手を取り、指先に軽く口付けた。
尚も自分を見詰める夕鈴の様子に訝しむ。
「陛下・・・」
ぼんやりと呟いた夕鈴は、取られた手で黎翔の手を導き頬に当てていた。
やっと会えた。
その嬉しさに、顔が綻ぶ。
「お帰りなさいませ、陛下」

常ならぬ夕鈴の様子に内心心配していた黎翔は、その笑顔を見た途端、感情が溢れ出るのを感じた。
愛しい。
想いのまま抱き寄せ額に口付ける。
ちゅっという音と共に夕鈴は我に返ったが、まだ侍女が控えているので固まりながら顔を真っ赤に染め上げた。
「ただいま、ゆーりん」
耳元に息を吹きかけるようにそっと囁くと、黎翔は人払いをした。




侍女達がにこやかに微笑みながら出て行き、暫くの間は夕鈴も我慢していた。
だが、いつまでたっても黎翔はきゅうきゅうと抱きしめるばかりで離そうともしない。
挙句に頭に頬擦りをし、ちゅっちゅっと口付けを繰り返す。
(もう無理。これ以上されたら頭が茹で上がる!)
夕鈴はもう誰もいない筈と思い小さく抵抗を始めた。
「へ、陛下っ。もう侍女さん達はいませんからっ」
「んー?」
「もう演技しなくて大丈夫ですってっっ」
目を回しそうな勢いの夕鈴に、黎翔は小さく笑うと抱きしめる力を更に強めた。
「ちょ、なんでっ!?」
「だってやっと夕鈴に会えたのに。夕鈴不足で僕、死んじゃうかと思ったよ」
(・・・またこの人は勘違いしそうな事をっ!)
「お、お茶!お茶煎れますから!ね、ちょっと離してくださいいい!」
むきぃぃぃと本気で引き剥がそうとする夕鈴を、黎翔はひょいと片手で抱き上げる。
途端に「ぎゃっ」と上る悲鳴に苦笑を浮かべながらも、黎翔は嬉しそうに部屋を出た。
「ちょ、どこに・・・」
「今日は蝋燭作る日なんでしょう?老師から聞いたよ。一緒に作りたくて頑張って仕事終らせたんだ」
「えっ、陛下も一緒に?って、迎えに来てくれるの陛下だったんですか!?」
「うん。僕、蝋燭なんて作ったことないから楽しみにしてたんだ」
そう笑う黎翔は本当に楽しそうで、一瞬見惚れた夕鈴もつられて困った笑いを浮かべてしまう。
まだ恥ずかしさは健在だが、自分が楽しみにしていた事を黎翔と分かち合えるのは純粋に嬉しかった。
「老師が染料を仕入れてくれたので、色のついたものを作ってみようかと思ってるんです」
「ああ、それも聞いたよ。綺麗に出来たら夕鈴の部屋で使おうか」
「本当ですか!?老師には『妃が使うものではない』とか言われたんですけど・・・」
「構わないよ。頑張って綺麗なの作ろうね」
「はいっ!」
夕鈴の笑顔に、黎翔も笑顔を返す。
想い人が笑っている。その事が何より嬉しい。
お互いにそう思っているのには気付かない。

「おお、来た来た。こっちの部屋に用意してありますぞ」
立入禁止区域に入ると、張元が目ざとく見つけ用意した一室に案内する。
そこには夕鈴がここ数日かけて準備した材料の他に、染料、火に掛けられた湯、数個の小型の鍋、そして何故か綺麗なぎやまんの器がいくつも置いてあった。
「老師、この器は?」
「ああ、お前さんが片付けておいた部屋にあったじゃろう。少々傷が入っていたり見えにくい所が欠けていたりと売れなかったもんじゃ」
「そうなんですか。これ蝋燭入れたら綺麗かもしれませんね。ね、陛下!」
「うん、そうだね。―――そのままだと汚れが気になるだろうから着替えておいで」
「あ、そうですね。じゃあちょっと着替えてきます」
夕鈴の応えを聞くと、黎翔はやっと名残惜しそうに腕から開放した。
見送る眼差しの優しさを見た張元は、嬉しそうに微笑みながら礼を取り自室に戻る。

一人残った黎翔は先刻の夕鈴の様子を思い浮かべていた。
夕鈴の室に入って行った時、彼女は確かに驚いていたせいもあるのだろうが、自分に踏み出す一歩を躊躇ったように見えた。
少しづつ埋めてきた夕鈴との境界線。
簡単に溶けそうで幾重にも重なり手強い薄氷のような壁が、一枚増えたような気がして心がちくりと痛んだ。
少し会えないだけで駄目なのか。
そう思った。
だが実際近付いてみれば、夕鈴は黎翔の手を頬に当て、本当に幸せそうに笑って迎えてくれた。
その笑顔の裏にここ数日の寂しさがあると思えば申し訳ない気持ちも勿論ある。
それでも、自分が夕鈴から求められていると感じられるのは嬉しかった。
例えそれが恋心故ではなかったとしても。

「陛下、お待たせしました」
そう言いながら入ってきた夕鈴は掃除婦の姿になっていた。
「最近忙しかったから、夕鈴のその姿を見るのも久しぶりだね」
黎翔は夕鈴の手を取り隣に座らせる。
「陛下はそのままでいいんですか?」
「うん、大丈夫。一応汚れた時の為に着替えは老師に用意させてあるから」
「じゃあ早速作りましょうか!」
「うん!作り方教えてね」

蝋燭を砕いたものを鍋に入れ湯銭で溶かし染料を加えた後、芯になる丈夫な糸を垂らした器に入れ冷やし固める。
その簡単な作業を一度夕鈴がやってみせると、黎翔はうきうきとしながら作り始めた。
「夕鈴、こっちの染料綺麗な色だよ」
「あ、ホントだ。陛下、それちょっとこっちのと混ぜてみませんか?」
「どれ?ああ、これいいね。器でもやってみようか」
「わ!綺麗な濃淡ができましたね。このまま固まってくれるかなあ」
子供のようにはしゃぎながら二人で蝋燭を作っていく。
会えなかった日々の分、あちこちに話題が飛びつつも会話が途切れることはない。
下町ではまだ蝋燭は高価な事。
侍女の嫁ぎ先が決まった事。
東の四阿に咲く花が見頃を迎えている事。
喋り続ける夕鈴を見ながら、黎翔は危なげない手付きに安堵していた。
火傷をさせるわけにはいかない。
その思いから付き添った蝋燭作りは存外楽しく、ここ数日の不機嫌による心のしこりが解れていくようだった。
(やはり夕鈴と一緒ならなんでも楽しく感じてしまうのだな)
どれだけ溺れているのだと呆れつつも、目の前の夕鈴の笑顔に嬉しさがこみ上げる。
こんな穏やかで幸せな時間がずっと続けばいい。
無理な話だと解っていても、望まずにいられなかった。




ぎやまんの器がほとんど蠟で満たされ、材料も大分減ってきた頃。
夕鈴が欠伸を噛み殺したのに黎翔が気付いた。
「夕鈴、眠くなってきた?」
「うっ・・・ちょっとだけ・・・」

ここ数日、黎翔に会えない寂しさから夕鈴は睡眠不足になっていた。
掃除を早めに切り上げ、材料作りに励んでいたせいで体をあまり動かさなかった事がそれに拍車をかけたのだ。
しかし今日はそれまでの遅れを取り戻すかのように掃除に没頭し、少々疲れてしまっていた。

「たくさん作ったし、今日はお終いにしようか。送るから着替えておいで」
残念だがこのままここで居眠りするわけにはいかない。夕鈴は素直に「はい」と返事をすると着替えに向かう事にした。

衣装を置いておいた部屋に入ると、張元が用意していたのだろう、桶に入った程よい湯と手布が用意されていた。
軽く手や顔を清め手早く着替えをする。
最初のうちこそ「王様にこんな事させていいのだろうか」と思っていたが、黎翔が楽しそうに蝋燭を作る姿を見ているうちにそんな考えは忘れてしまった。
目の前の小犬陛下は初めての作業に戸惑うことなく手を動かし、夕鈴の話をいつものよう聞いてくれた。
寂しかったこの数日が嘘のよう。

夕鈴にとって蝋燭作りは家事の一環だった。嫌いではなかったが特に楽しかった覚えもない。
今回は色を付けてみるという初めての事があり、暇潰しをする目的もあったので楽しみにはしていた。
だが、黎翔が隣にいるだけで予想していた何倍も楽しかった。
「陛下も楽しそうだったな」
くすくすと笑いがこみ上げる。
「また、一緒に作れるといいな」
明確に次を望む事はできないが、そう願う心に偽りはなかった。

黎翔の待つ部屋に戻ると、湯を沸かしていた炭は消され、作ったばかりの蝋燭の一つが灯っていた。
「陛下、お待たせしました」
見れば黎翔の夜着は替えられ、顔もさっぱりしている。夕鈴と同じく軽く清め、着替えたようだ。
「試しに火をつけてみたから、これがなくなるまで少し見ていかない?」
そう言いながら手を差し伸べた黎翔は、厚地の敷物の上に座っていた。
「構いませんけど・・・陛下はお疲れじゃないですか?」
「僕は大丈夫」
夕鈴がそっと乗せた手を握り引き寄せる。
体勢を崩した夕鈴を、立てた片膝が背もたれになるように横向きに抱き止めるときゅっと抱きしめた。
「ちょ、あのっ」
「うん?」
真っ赤な顔で慌てる夕鈴に、黎翔は当然の如く頭に頬ずりをする。
「ひぃ」
小さな悲鳴は聞かなかったことにした。
(こ、壊れる、心臓が壊れる・・・っ!)
半ば目を回しながらもがいていると、黎翔がほうっと長い息をついた。
それに気付いた夕鈴が恐る恐る近すぎる顔を覗いてみれば安心しきった穏やかな顔。
「夕鈴を抱きしめてると、すごく落ち着く」
「まっ、またそんな事を・・・っ」
「―――夕鈴は、僕がいなくて寂しくなかったの?」
「え・・・あの・・・さ、寂しかったです・・・けど」
「そっか。・・・ごめんね」
緩やかに、そして優しく頭を撫でられて、夕鈴の気持ちが落ち着いてゆく。
(・・・嘘でもいいや。陛下がこんなに幸せそうな顔してくれるから・・・)
「僕も、会えなくて寂しかったよ」

胸懐後

ただ、陛下は寂しがりなだけ。
周りにいる人に自分を見せられないだけ。
そう思いながらも、自分が大切にされていると錯覚しそうになる。
夕鈴は穏やかな眠りに誘われながら、黎翔の手の温もりを感じていた。
「眠ってもいいよ」
その言葉に眠気に抗う気持ちも薄れてゆく。
(この腕の中はなんでこんなに心地いいんだろう)
いつもならどきどきと戸惑うばかりの黎翔の温かさに安らぎながら、夕鈴は眠りに落ちていった。




数日後。
給料の端数と共に李順から渡された青慎からの手紙を、忙しそうな執務室から早々に退室し自室で読み始める。
青慎らしい丁寧だが硬くない文字と語り口で、相変わらずな父の事、いつも書く必要ないと言っている几鍔の事、近所であった事など、近況が書かれていた。
そして最後に。
『先日李翔さんから姉さんが作ったという蝋燭が届きました。王宮で余った材料で作ったとか。姉さんらしいです。李翔さんにもお礼を伝えて下さい』

黎翔が、作った翌日に欲しがった蝋燭。
それを青慎に送ってくれたらしい。

解っている。
「下町ではまだ高級品なんですよ」
そう言ったのを覚えていてくれただけだって。

陛下は私と違っていつも忙しいし疲れることも多い筈だ。
でもいつも私に優しくしてくれるし、こんな小さな事まで覚えていてくれる。
私が大切にしているものを認めて、気遣ってくれる。
甘やかそうとしすぎるのはちょっとだけ困るけど、勘違いしそうなくらい優しい優しい大好きな人。
私には何もお礼はできないけど、この嬉しい気持ちは素直に伝えたい。
すごく恥ずかしいけど―――侍女さん達がいる時なら、演技だって言い訳できるから。
今日、陛下が来たら、ちょっとだけぎゅってしてみようかな。

強くて優しい貴方が大好きです。
その想いは、内緒の心。
いつも気遣ってくれて、思い遣ってくれてありがとうございます。
今、一番伝えたい気持ち。
いつも「一緒にいると癒される」と言ってくれる陛下がどこまで本気か判らないけれど、ほんの少しでも疲れが取れてくれたら嬉しい。
どうか、うまく感謝の気持ちだけが伝わりますように。

「お妃様、陛下がお見えになりました」
「はい、すぐに行きます」

そう侍女に返した夕鈴は、心臓が飛び出しそうなほどどきどきしながら、黎翔を迎える為の一歩を踏み出した。





SNS2013/09/24るる様宅日記より転載



るる様いつもありがとうです('ω')ノ











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